「由利公正宅跡」碑を歩く

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「由利公正宅跡」碑

福井で幕末史跡巡りをするため、青春18きっぷを使って福井の町にやってきました。

まず最初の訪問地、坂本龍馬もやってきたという「由利公正宅跡」碑を紹介します。

 

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「由利公正宅跡」碑アクセス

路面電車(福井鉄道・福武線)

JR福井駅から西の方に行くと足羽川が見えてくるのでそれに沿って歩きました。すると橋と路面電車が見えてきます。

そこを左折し、幸橋(さいわいばし)を渡ります(下の地図参照)。

福井市幕末マップ(由利公正宅跡、左内公園、善慶寺)

 

幸橋を丁度渡りきったあたり。路面電車が走っている

幸橋を丁度渡りきったあたり。路面電車(福井鉄道・福武線)が見えます。大きな道路ですね。

 

「由利公正宅跡」碑

この幸橋を渡り、右側の堤防沿いに行くと、お目当ての場所①「由利公正宅跡」碑にたどり着きました。

 

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「由利公正宅跡」碑について

「由利公正宅跡」碑の横にある説明文

史跡「由利公正宅跡」碑の横に説明文がありました。それによると、明治33年~44年の河川改修工事で、由利公正宅跡は既に消滅しているということです。

現在の足羽川は大雨による災害を防ぐために、堤防までの距離と川の幅が変更されています。どうやら由利公正宅は現在の川から堤防にかけてにあったようです

福井の足羽川と幸橋

足羽川と幸橋

 

「由利公正宅跡」碑

「由利公正宅跡」碑にはこのように書かれています。

この付近には、明治政府初代財政担当者として、又は五箇条の御誓文起案者として知られている福井藩・由利公正の宅跡である。

彼は在藩時代三岡八郎と称して居を構えていたが坂本龍馬や福井藩・横井小楠が彼を訪ねた。と。

参考:「由利公正宅跡」碑より

由利公正と言えば、福井藩士時代は三岡八郎という名前です。五箇条の御誓文の起草にも参加、岩倉使節団、民撰議院設立建白書、貴族院議員にもなりました。のち子爵。

 

坂本龍馬は2度越前国福井藩に行っていますが、この場所には1度目の文久3年(1863年)に訪問しています。

文久2年(1862年)江戸で松平春嶽横井小楠への紹介状を書いてもらった坂本龍馬は、文久3年(1863年)この福井で、小楠と対面しています。

その後、横井小楠の案内で龍馬は、舟で足羽川を渡り、この場所「由利公正宅」を訪ねたそうです

幸橋は文久2年(1862年)にできたので、龍馬が来た文久3年(1863年)には幸橋は完成していたのでしょう。当時は木造の橋だったそうですが、龍馬もこの橋を渡ったのでしょうか。

福井の足羽川周辺

足羽川周辺。

 

桜橋から見た足羽川。遠くに幸橋が見える

桜橋から足羽川を望む。遠くに幸橋が見えます。川内が由利公正宅だったのでしょう。