神戸周辺は大阪から近いということもあり、何度も行ったことがありますが、今回は撮影も兼ねて「神戸海軍操練所跡」に向かいます。
この周辺は当時たくさんの外国人居留地がありました。その居留地を現在でも見て歩くことができます。
「神戸外国人居留地跡の碑」と「旧居留地十五番館」を歩き、神戸の外国人居留地と現存する旧外国人居留地の痕跡を紹介します。
神戸外国人居留地跡の碑
それでは、神戸の街を散歩しながら神戸海軍操練所に向かっていこうと思います。いつものように下の地図を参照してください。
①大丸前にある「神戸外国人居留地跡の碑」に行ってみます。
JR元町駅で下りました。まず南に下り、神戸大丸の方に向かいます。神戸大丸は独特の形をしてますね。
大丸からから南東フラワーロード下辺りまでの対角線上は、幕末から明治時代に外国人居留地がありました。
大丸の西側に①「神戸外国人居留地跡の碑」があります。
「神戸外国人居留地跡の碑」には「慶応3年12月7日兵庫港開港とともに設置され、明治32年まで存続していた」と書かれています。
碑の右下には「イギリス人土木技師J.W.ハートの設計による」と書かれています。
居留地の基本的な設計は、英国人土木技師のJ.W.ハートと初代兵庫県知事・伊藤博文(長州藩)と協議により始められたそうです。
旧居留地十五番館
大丸からメリケンロードを南に下ると、右側に南京町(中華街)が見えます。ここには美味しい中華料理「民生」本店があります。
メリケンロードを途中で左折します。東側に歩いていくと、神戸ならではの独特のビルが建ち並んでいます。旧居留地を思わせるビルです。
これら個性的なビルには、旧居留地番号が書かれています。例えば、このビルは左下に「旧居留地5番館」と書かれています。
その中に、唯一現存する居留地時代の建築物があります。国の重要文化財にも指定されています。②旧居留地十五番館がそれです。
残念ながら阪神大震災で全壊してしまいました。現在は明治時代の建築技術や倒壊前の建材を利用して復旧工事が行われ、建設当初の姿に戻っています。
②旧居留地15番館。水色と黄色が明治を感じさせてくれます。
「居留地の区画」説明
居留地の説明がありました。
「外国人居留地時代の標柱」5箇国との修好通商条約により設けられた居留地の跡で、西洋の土地計画手法により126区画されていました。
この標柱は15番と16番の境界を表す標柱だそうです。見逃してしまいそうな標柱です。説明があったので気がつきました。
標柱を拡大。15番と16番の境界線。
最後に
現在の旧居留地には現存する建物があることから当時をイメージすることができました。
この外国人居留地が、英国人土木技師のJ.W.ハートと初代兵庫県知事・伊藤博文(長州藩)と協議により始められたというのが面白いですね。
幕末から明治にかけて特に神戸は重要なポイントとなっています。幕末から明治と歴史は繋がっているのを感じました。