一日乗車券で、大阪から福山までやってきて、バスで鞆の浦にやってきました。
前回は、鞆の浦に到着し、「坂本龍馬宿泊所跡」碑と頼山陽の「対仙酔楼」を歩いてきました。
「鞆の浦到着。「坂本龍馬宿泊所跡」と頼山陽「対仙酔楼」を見る」のつづきです。
龍馬観音から福山市営渡船のりば、禅福寺・対潮楼周辺を歩いてみます。
龍馬観音・浄泉寺
↑頼山陽も絶賛のこの景色。素晴らしいの一言。
②対仙酔楼を後にして、南に進んでいきました。すると、鞆シーサイドホテルの前に龍馬とおりょうの記念写真パネルがあります。しかし、鞆の浦にはお龍は来ていませんが…この女性は一体誰?謎である。
↑龍馬とおりょう?いや、そんなはずはない?
このまま南に進むと少し右側にカーブしています。丁度その辺りに、浄泉寺というお寺がありそこに③龍馬観音があります。
幕末当時、坂本龍馬は観音様に勝利を祈願したと伝えられているのだそうです。プレートは「幕末を駆け抜けた龍馬はこの地に立ち、世界の平和と自由を発信した」とあります。
③龍馬観音。龍馬が指す場所とは。→沈没したいろは丸の場所を指しているそうです。
福山市営渡船のりば「平成いろは丸」と保命酒
しばらく行くと「福山市営渡船のりば」があります。ここで「平成いろは丸」に乗ることができます(笑)。乗りたかったんですが、如何せん時間が無いもんで…。
平成いろは丸に乗りたいというよりは、船に乗ってこの辺りの景色を見て回りたい、そして向かいにある仙酔島に行ってみたかったんです。そう思わせる場所でした。
平成いろは丸は往復240円。気軽に乗れる値段ですね。
船乗り場のすぐ隣に保命酒のお店があったので、入ってみました。暑かったので、休憩のつもりで入ってみました。
中には福山市鞆町名物・保命酒が売られていました。お店の方が出てきて試飲できますよ。飲んだ感想は…
薬の苦味がありますが、後から甘みが増してきます。糖分で飲みやすくしていますね。飲んだことありませんが、養命酒もこんな感じでしょうか。
入江豊三郎保命酒本店の渡船場店
本格麦焼酎・いろは丸と土佐焼酎・龍馬の海援隊
対潮楼・福禅寺
次に行った場所は福禅寺にある④対潮楼です。入江豊三郎本店・渡船場店の前辺りを右折して、細い道を上がって行くとあります。
僕が行ったときは入口付近が工事されていましたが、福禅寺内は見学できるようです。
福禅寺は平安時代に建てられましたが、江戸・元禄時代に創建された客殿の眺めが素晴らしいことから、朝鮮通信使のための迎賓館として使用されました。
1748年(延亨5年)に正使の洪啓良禧がこの客殿を「対潮楼」と名づけました。
↑右折してからは急に道が細くなり、昔を思わせる路地が顔を出します。
↑福禅寺・対潮楼
「対潮桜」扁額。正使の洪啓禧がこの客殿を「対潮楼」と名づけました。
「日東第一形勝」扁額。従事官の李邦彦が、客殿からの眺望を「日東第一形勝(朝鮮より東で一番美しい景勝地という意)」と賞賛しています。
対潮楼に入ると3、4人の観光客が座っていました。ゆっくり見れるな、と右側前方に座り景色を眺めながらの休憩です。ここは風が一直線に抜けるため、夏のこの時期は最高に気持ちよく、のんびりとした景観を楽しむことができました。
対潮楼内に飾られている史料を見学して出発することにしました。
当時は禅福寺・対潮楼のすぐ前が海だったことがわかる写真。当時は今よりももっと素晴らしい景色だったんでしょうね。
で、幕末と関係ないやんって言われそうですが、あるんですよ。
この場所もいろは丸事件の時、海援隊と紀州藩の交渉の場の一つとなったそうです。龍馬もきっとこの素晴らしい景色を眺めたんでしょうね。
(つづく)
関連:[土佐藩]幕末の史跡一覧に戻る