幕府

神戸の外国人居留地と現存する旧居留地の痕跡

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神戸周辺は大阪から近いということもあり、何度も行ったことがありますが、今回は撮影も兼ねて「神戸海軍操練所跡」に行って来ました。

始めに「神戸海軍操練所」の説明を少々。

元治元年(1864年)に軍艦奉行並・勝海舟が、14代将軍徳川家茂に建言したことで、神戸に創設された海軍士官養成所のことです。それと同時に「神戸海軍塾」も設けられ、塾頭には土佐藩脱藩・坂本龍馬がなっています。
勝海舟の私塾、大阪海軍塾・塾頭佐藤与之助が、神戸海軍操練所の教授として就任することになり、海軍塾塾頭の座が空いたため、坂本龍馬が塾頭になりました。

「神戸海軍操練所」は江戸幕府がつくり、「神戸海軍塾」は大阪海軍塾が神戸に移り、神戸海軍塾になったということです。この辺りは諸説あるんで、わかりにくい所ですね。
勝海舟の「氷川清話」では、操練所塾頭に坂本龍馬が…という記述も有り。(「氷川清話」政治今昔談、神戸海軍操練所 参照)

それでは、神戸の街を散歩しながら神戸海軍操練所に向かっていこうと思います。いつものように下の地図を参照してください。
神戸幕末地図

JR元町駅で降りました。まず南に下り、神戸大丸の方に向かいます。神戸大丸は独特の形をしてますね。
神戸大丸

大丸からから南東フラワーロード下辺りまでの対角線上に、幕末~明治時代は外国人居留地があった所です。
大丸の西側に①「神戸外国人居留地跡の碑」があります。この碑には「慶応3年12月7日兵庫港開港とともに設置され、明治32年まで存続していた」、と書かれています。

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①「神戸外国人居留地跡の碑」

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↑碑の右下にはイギリス人土木技師J.W.ハートの設計による、と書かれています。

居留地の基本的な設計は、英国人土木技師のJ.W.ハートと初代兵庫県知事・伊藤博文(長州藩)と協議により始められたそうです。

 

 

大丸からメリケンロードを南に下ると、右側に南京町(中華街)が見えます。ここには美味しい中華料理「民生」本店があります。狭いですけど…

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↑南京町・中華街の入口周辺。

 

メリケンロードを途中で左折します。東側に歩いていくと、神戸ならではの独特のビルが建ち並んでいます。旧居留地を思わせるビルです。これら個性的なビルには、旧居留地番号が書かれています。例えば、このビルは左下に5番と書かれています。

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↑旧居留地5番館

 

その中に、唯一現存する居留地時代の建築物があります。国の重要文化財にも指定されています。②旧居留地十五番館がそれです。残念ながら阪神大震災で全壊してしまいました。現在は明治時代の建築技術や倒壊前の建材を利用して復旧工事が行われ、建設当初の姿に戻っています。

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↑②旧居留地15番館

 

旧居留地15番館
↑②旧居留地15番館。水色と黄色が明治を感じさせてくれます。

 

居留地の説明がありました。

「外国人居留地時代の標柱」5箇国との修好通商条約により設けられた居留地の跡で、西洋の土地計画手法により126区画されていました。この標柱は15番と16番の境界を表す標柱だそうです。

 

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↑見逃してしまいそうな標柱です。説明があったんで気がつきました。

 

外国人居留地時代の標柱
↑標柱を拡大。

 

外国人居留地時代の標柱

↑標柱の説明。

 (つづく)

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