神戸「旧居留地十五番館」から旧海軍操練所跡に向かいます。途中、日本最古の下水道にも立ち寄ってみます。
「旧海軍操練所跡」と言えば坂本龍馬や陸奥宗光、近藤長次郎等を排出したことでも有名。行くのが楽しみです。
「日本最古の下水道」に立ち寄る
②「旧居留地十五番館」を見て立ち去ろうとした時、横にふっと目に入ったものがあったので、近づいてみることにしました。
柵に囲まれたもの、登録有形文化財、近代化産業遺産とあります。
覗き込んでみると明治時代に造られた日本最古の下水道です。
明治時代といえばレンガですが、この下水道もレンガでできています。雨水のみを運んでいる下水道だそうです。
夢中で下水道を覗き込みながら写真を撮ってると、2~3人、それを見て、同様に覗き込んできました。人が人をよぶとはこのことですね。
日本最古の下水道。卵型のレンガ造り。
上から当時の下水道の通り道がわかります。断面図。
史跡「神戸海軍操練所跡」
次に市立博物館を右折し、南に下っていきます。
そのまま海側に近づくと京橋という表示があります。そこの信号を越えた所にありました。③神戸海軍操練所跡、大きないかりの形をしています。
「神戸海軍操練所」とは?
元治元年(1864年)に軍艦奉行並・勝海舟が、14代将軍徳川家茂に建言したことで、神戸に創設された海軍士官養成所のことです。
それと同時に「神戸海軍塾」も設けられ、塾頭には土佐藩脱藩・坂本龍馬がなっています。
勝海舟の私塾、大阪海軍塾・塾頭佐藤与之助が、神戸海軍操練所の教授として就任することになり、海軍塾塾頭の座が空いたため、坂本龍馬が塾頭になりました。
「神戸海軍操練所」は江戸幕府がつくり、「神戸海軍塾」は大阪海軍塾が神戸に移り、神戸海軍塾になったということです。この辺りは諸説あるんで、わかりにくい所ですね。
勝海舟の「氷川清話」では、操練所塾頭に坂本龍馬が…という記述もあります。(「氷川清話」政治今昔談、神戸海軍操練所 参照)
神戸海軍操練所の場所は、この碑がある場所から少し西側一体にあったそうです。
③史跡・旧海軍操練所跡
錨(いかり)の下には、本の形をした碑があり、そこには海軍操練所跡の由来が書かれています。
「海軍操練所は、兵学校・機関学校・海軍工廠を総合した観があり…坂本龍馬、陸奥宗光、伊東祐亨を輩出した…」とあります。
池田屋事件や禁門の変に関係した望月亀弥太などが海軍塾の中にいたため、残念ながら海軍操練所と神戸海軍塾は約1年で閉鎖されてしまいました。
しかし、ここから坂本龍馬や陸奥宗光、近藤長次郎等が輩出されました。航海術を学んだメンバーが後に、亀山社中を結成していきます。
見づらいですが「史蹟・海軍操練所址・神戸市」と書かれています。残念ながら、阪神大震災で倒れてしまい現在は修復されています。
すぐとなりにある神戸電信発祥の地碑。ドコモ神戸ビル前にあります。
最後に
勝海舟の人を見抜く力ってすごいですね。また、江戸幕府以外からも優秀な人材がいれば登用する、彼のスケールの大きさと決断力に引き込まれてしましました。
ぜひとも「氷川清話」読んでみてください。(つづく)