武市半平太(瑞山)が京都で活動していた時の寓居は、現在、料理旅館「金茶寮」に。

スポンサーリンク

takechi_zuizan1

木屋町を三条を上がると⑦「武市瑞山先生寓居之跡」、⑧「吉村寅太郎寓居之址」があります。三条木屋町を少し上がった所です。

木屋町姉小路辺り。「ちりめん洋服 発祥の地」の碑と三つ並んであります。

京都幕末地図7

[note]

⑦「武市瑞山先生寓居之跡」…四国屋・丹虎があった場所をさしています。現在は「金茶寮」という料理旅館になっています。

[/note]

 

土佐藩の武市半平太(瑞山)が、土佐勤王党を結成し、京都で活動していたときに仮り住まいとしていた場所です。

彼は土佐藩の上士と下士(郷士)の間にあたる白札という身分であったため、郷士と共に土佐勤王党を結成しました。長州藩と交流があったんで、長州藩邸から近いこの場所に住んでいたのは頷けますね。

武市瑞山先生寓居之跡

金茶寮は入口から一直線です。ウナギの寝床とはこのことをいうのでしょう。夏は鴨川納涼床が行われているので、ゆっくりと鱧を食べてみたいもんです。しかし、敷居が高いですね…;;

 

武市瑞山先生寓居之跡

となりに「ちりめん洋服 発祥の地」碑があります。

 

「竜馬が行く」を読んだら、まず始めに男気がありリーダー的存在である武市半平太のファンになることでしょう。

関連[土佐藩]幕末の史跡一覧に戻る