吉田松陰が海外渡航に失敗した後、入っていた野山獄跡はバス停横にあり

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山口萩長州藩旅行に来ています。萩に着いてまず始めに「野山獄・岩倉獄跡」を見に行きました。

野山獄・岩倉獄跡は「萩循環まぁーるバス」の野山獄跡入口バス停すぐにあります。

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野山獄跡

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▲松陰先生が海外渡航に失敗し、後入っていた野山獄。

「野山獄・岩倉獄跡」は吉田松陰と金子重之助(重輔)が入っていた牢獄です。

吉田松陰が野山獄(上牢)で、金子重之助(重輔)が岩倉獄(下牢)でした。当時は大きな牢獄だったそうです。今はかなり小さくなっていました。

行く直前に司馬遼太郎の「世に棲む日々」を読んででいたこともあり、ここが野山獄址かぁと感慨深かったです。

 

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「野山獄十有一烈士之碑」毛利元昭書、と書かれています。

元治元年、俗論派により禁門の変を責められた正義派十一名の追悼の碑。文字がかなり薄くなってます。長州藩・中村九郎は確認できました。

 

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岩倉獄跡

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こっちが金子重之助が入っていた岩倉獄跡。野山獄の向かいにあり、さらに小さかったです。左は合霊碑と書かれています。

 

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「金子重輔君絶命之處」碑 田中義一書(長州藩萩出身の陸軍大将です。男爵。)

 

最後に

野山獄址が野山獄跡入口というバス停横にあったのが驚きでした。バスを待っている間に見ることができました。当時はかなり大きな牢屋だったようですね。

司馬遼太郎「世に棲む日々」に野山獄についての話が多く載っているんで、まだ読まれてない方は読んでみてはいかがでしょうか。