萩長州幕末旅行を続けています。①松浦松洞誕生地、②松下村塾、③杉家吉田松陰幽囚宅、④松陰神社、⑤吉田稔丸誕生地、⑥伊藤博文旧宅、⑦伊藤博文別宅、⑧玉木文之進旧宅と歩いてきました。
【関連】吉田松陰が海外渡航に失敗した後、入っていた野山獄跡はバス停横にあり。
【関連】吉田松陰の松下村塾は想像していたよりもはるかに小さかった。
【関連】松下村塾の四天王、吉田稔丸(稔麿)誕生地は、松下村塾すぐにあった。
【関連】吉田稔丸(稔麿)や松浦亀太郎(松洞)と同様、伊藤博文旧宅も松下村塾から近かった。
今回は松陰先生と金子重輔の銅像に向かいます。
⑧玉木文之進旧宅の前を右折すると、どんどん上り坂が続いています。その坂を登りきった突き当たりに⑨松陰先生と金子重輔の銅像があります。
上り坂が続いているので「松陰先生と金子重輔の銅像」まで来るのに結構時間がかかりましたが、この銅像が見えるや否や、急に元気が湧き出てダッシュしてしまいました。
「松陰先生と金子重輔の銅像」は丘の上にあります。まるで遠く、海外を見つめているかのようです。
↑その横に四角いスペースがあります。そこが吉田松陰が生まれた場所です。
坂を上りきったこの周辺(⑨)は、松陰先生の親族である杉家&吉田家の墓、 門下生の高杉晋作の墓などがあります。京都でいう東山の霊山神社みたいな所でしょうか。
僕は一人一人のお墓をゆっくりと見てまわりました。あまりにも重々しい場所だったんで写真にはおさめませんでした。というより、その時はそういう気持ちにならなかったのが正直な感想でしょうか。
今思うと写真に撮ってれば良かったです。
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