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長州藩

天王山登山口すぐにある宝積寺と久留米藩・真木和泉について

天王山

天王山と言えば、戦国時代山崎の合戦で「天下分け目の天王山」と言われた山です。

現在でも勝負の山場という意味で使用されています。幕末、この場所に陣を取った志士がいました。

前半が薩摩藩、後半が長州藩と交流していた久留米藩・真木和泉です。

今回はその天王山を目指して歩いてみることにしました。まずは久留米藩・真木和泉についてと宝積寺までを紹介します。

久留米藩・真木和泉守の簡単な説明

真木和泉は、真木和泉守保臣という名前で、神官として和泉守の官位を持っているため、通称真木和泉と呼ばれています。

薩摩藩・島津久光が上京した時に、真木和泉も脱藩し京で活動し始めました。

寺田屋事件(薩摩藩内紛)にも同士として活動していましたが、久留米藩であるため、幽閉扱いになります。薩摩藩出身者は殺されていました。

幽閉後は長州藩と交流しますが、またしても真木和泉に不運が起こります。

八月十八日の政変により、公武合体派・佐幕派が政権を奪取。尊王攘夷派である長州藩は京都を追放されます(七卿落ち)。真木和泉も三条実美等、七卿と同様、長州藩に下りました。

その後、再度上京した長州藩は久坂玄瑞、来島又兵衛の強攻策で、薩摩藩・会津藩などの兵と衝突しました(禁門の変)。

この時、真木和泉は、脱藩浪士を率いて長州軍に参加しましたが、長州軍は敗退。真木和泉は同志16名とともに山崎天王山の宝積寺で宿営しました

会津藩・新選組・見廻組が攻め上って来たため、真木和泉は同士と共にに自刃しました。

以上が簡単な真木和泉の説明になります。これを踏まえて天王山に登ります。

 

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宝積寺

今回は真木和泉・十七烈士の墓の碑を見るために天王山に登ろうと思います。ちなみに僕は山登りをしたことはほとんどありません。大丈夫かな?

今回は幕末散歩改め幕末登山です。では出発です。
天王山地図。宝積寺、十七烈士の墓、展望台、天王山山頂

天王山に登る時、大山崎山荘美術館の方から行くのが一般的ですが、先に宝積寺に行くルートを採りました。

というのは上記した通り真木和泉が宝積寺で宿営したからです。

 

天王山登山口

JR山崎駅を降りて線路沿いに歩くと、一つ目の踏み切りに天王山入口があります。木のトンネルになっています。

 

天王山登り口

天王山登り口。ここからスタートです。

 

宝積寺(宝寺)

坂を登るとすぐに左右に枝分かれしてるので、左の方に行きましょう。(右に行くと上記した通り大山崎山荘美術館に着きます。)

この辺りは住宅街なので、道があっているのか多少不安になりましたが、少し坂を上がるだけで①宝積寺(宝寺)に着きました。

入口に「聖武天皇勅願所」とあります。また、重要文化財の金剛力士像(鎌倉時代)があります。左右に金剛力士像があるのわかりますか?

 

宝積寺(宝寺)の金剛力士像

重要文化財・金剛力士像。

 

宝積寺(宝寺)三重塔

宝積寺の入口は小さめの門ですが奥行があるお寺です。中には三重塔もありました。

宝積寺「豊太閤・真木和泉守 木像 今村良太郎」の文字

「豊太閤・真木和泉守 木像 今村良太郎」と書かれています。下方は字が薄いのでわかりにくいです。

豊太閤は豊臣秀吉。豊臣秀吉と真木和泉の共通点は、宝積寺で陣を取ったということです。もしかしたら宝積寺の中に木像があるのかも知れません。

どなたか知っておられる方がいれば、教えてください。

 

宝積寺「十七士埋没地(迄七丁)」碑

下の方は字が薄くてわかりにくいのですが、「十七士埋没地(迄七丁)」と書かれています。

1丁(町)は約110mなんで770m先ってことでしょうか?

宝積寺の裏側からも天王山に繋がっています。ここまではすぐに着きました。山登りはここから始まります。

下の記事に続く▼

関連記事史蹟 禁門の変・十七烈士之墓/天王山

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