史蹟 禁門の変・十七烈士之墓/天王山

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史蹟 禁門の変・十七烈士之墓

幕末天王山登山出発(久留米藩・真木和泉,宝積寺)のつづきです。

①宝積寺の裏口から出て山道を登ります。

先ほどまでとは違い、登山(ハイキング)って感じでしょう。周囲一面に竹が密集しています。

天王山を登り、史蹟「禁門の変・十七烈士之墓」を見てきました。

 

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天王山を登る

天王山登山

天王山地図

①宝積寺から②展望台までが少し大変。自分自身が歩く歩幅と、段差との歩幅が合わないんで、結構登りづらいです。

10分ぐらい登ると少しずつ慣れてきます。途中、休憩する場所もあるんで、辛く感じたら、そこで休憩することをオススメします。

道中、ゴツゴツした箇所があるんで、ランニング用シューズで登ると靴の底にあるスポンジ状のものが剥がれてしまいそうな感覚になりました。

ぜひとも登山は底が固いタイプのトレッキングタイプのシューズがオススメです。

と言っても、それに気づいたときは登山中で、普段そんなこともしないんで、そんな靴を持ってないんですけどね(苦笑)。

そんなことを考えながら登っていると②天王山展望台に到着です。

 

展望台からは、川を挟んで向かいにある男山を一望できます。

山頂には岩清水八幡宮があります。また、この場所は三川(木津川、宇治川、桂川)が合流し、淀川に変わる場所でもあります。

天王山から男山を望む
真ん中の丸い緑の山一体が男山です。男山山頂には岩清水八幡宮があります。

この展望台のすぐ横に「山崎合戦之地」碑がありました。豊臣秀吉が明智光秀を討ち破った天下分け目の山崎合戦の地がこの場所です。

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「山崎合戦之地」跡。戦国時代好きの年配の方が結構来られています。

 

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史蹟 禁門の変・十七烈士之墓

史蹟 禁門の変・十七烈士之墓

ここを越えると待ちに待った③史蹟・十七烈士の墓に到着。

この辺りはとても静かでヒヤッっとしています。中央に大きい墓があり、それをぐるっと囲むように十七烈士の各お墓があります。

 

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十七烈士の墓。左前方から。中央「烈士墓表」を囲んで各お墓が見えるのがわかりますか。

 

史蹟 禁門の変・十七烈士之墓
十七烈士の墓。正面から。左下に「天王山十七士没後百三十年祭記念碑」があります。

 

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「天王山十七士没後百三十年祭記念碑」拡大。

 

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中央拡大。「烈士墓表」と書かれており、その下に十七烈士の名前があります。「筑後・真木和泉守平保臣…」

お墓は右から…

土佐・千屋菊二郎菅原孝健
土佐・松山深蔵橘正夫
宇都宮・岸上弘 安臣
宇都宮・廣田精一執中
土佐・能勢達太郎平成章

肥後・小坂小二郎源雄宗
久留米・加藤常吉任重
土佐・安藤真之助強怒
久留米・真木和泉守平保臣
久留米・松浦八郎寛敏
久留米・池尻茂四郎懋
筑前・松田五六郎

肥後・加屋四郎藤原時雄
肥後・中津彦太郎藤原義直
肥後・酒井荘之助
肥後・宮部春蔵
肥後・西嶌亀太郎

禁門の変に敗れ、天王山に陣を取るも、会津藩や新選組等に攻められ、自刃した17名です。

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久留米藩・真木和泉のお墓。

 

最後に

禁門の変は詳細に渡るものの、天王山辺りの話はさらっと流れてしまうので、今まで詳細には知りませんでした。

「八重の桜」では少しだけ天王山のシーンがありました。

十七烈士に長州藩は入っていなかったんですね。久坂玄瑞、寺島忠三郎ら長州藩は、京都御所周辺で自刃したからでしょう。

今回も幕末史を再確認できました。幕末をイメージすることができますよ。実際行ってみるのをオススメします。

しかし、天王山を登っている人って、「③十七烈士の墓」には全く目もくれずに通過していく人達が多いです。

やはり天王山と言えば戦国時代なのでしょうね。

 

関連:「新選組の史跡を巡る(京都・大阪)」に戻る