高杉晋作誕生地を見た後、江戸屋横丁に向かうことにしました。菊屋横丁を出て左に曲がります。
今回は中級武士の④武家屋敷野田家、高杉晋作が学んだという⑤円政寺、蘭方医⑥青木周弼旧宅を紹介します。
武家屋敷野田家
まっすぐ進んで伊勢屋横町を越すと、④武家屋敷 野田家があります。古地図には野田七郎右衛門と書かれている場所になります。
入口の門には説明文が書かれてありました。
慶安橋付近にあるこの屋敷は、萩藩の遠近組に属して、五十一石を給されていた中級武士・野田七郎左衛門の屋敷です。
建物は木造平屋桟瓦ぶきで、国指定史跡「萩城下町」の地域にも含まれ、よく旧態を保っている。
参考:「武家屋敷 野田家」説明文より
上の古地図にも書かれていた名前、野田七郎右衛門の屋敷であることが案内板からもわかりました。
なかなか豪華で広い屋敷ですが、それでも中級武士だそうです。
円政寺「高杉晋作・伊藤博文両公幼年勉学之所」碑
次の通りを左に曲がると、そこは江戸屋横丁に入ります。するとすぐに⑤円政寺があります。
この円政寺の入口に「高杉晋作・伊藤博文両公幼年勉学之所」という碑と看板があります。
高杉晋作誕生地から近いのでよくわかりますが、伊藤博文もここで勉強をしていたのが意外でした。彼の家からは結構離れてますからね。桂小五郎だと近所なのでわかるのですが。
他にも色々な説明がたくさん掲示されております。拝観料は200円。
古地図には法光院と書かれています。明治時代に神仏分離令により、法光院と寺町にあった円政寺が合併し、 円政寺という名前になったそうです。
青木周弼旧宅
次に⑥青木周弼旧宅に着きます。
古地図で確認してみると茶色く塗られたまま、特に名前は書かれてありませんでした。
というのもこの古地図は安政元年(1854年)から安政2年(1855年)に作られたもの。⑥青木周弼旧宅は安政6年(1859年)に新築されたそうなので、古地図が描かれた直後に建てられたということになります。
⑥青木周弼旧宅の図面
幕末当時、蘭学者だったそうです。全国から学生が集まったため、安政6年(1859年)に建てられました。
青木周弼は蘭方医で、18歳に大坂、30歳で江戸で学んだそうです。同門に緒方洪庵がいます。
弟の青木研蔵と一緒に長崎でシーボルトで学びに行きました。その後、長州藩医、周防医学書の教授蘭学掛、御側医にまで出世しました。
最後に
④武家屋敷野田家、⑤円政寺、⑥青木周弼旧宅を歩いてみました。
青木周弼旧宅で、案内の方に小泉純一郎さんが首相時代に萩に来た時の話を聞かせてくれました。
小泉さんが松陰先生の生まれた場所に行ったとき、「トントントン、松陰先生はいらっしゃいますか?、ガラガラガラ~(戸を開ける音)」と言って入ったそうです(笑)。
次は最後に⑦木戸孝允旧宅に向かいます。