②松下村塾のさらに奥に進むと③杉家吉田松陰幽囚宅と④松陰神社本殿、松門神社があります。
順に進んでみましょう。
③杉家吉田松陰幽囚宅…アメリカへの密航に失敗した松陰先生が野山獄に移された翌年、免獄となり実家の杉家に幽閉となりました。
明治時代になり、この杉家の隣に、松陰神社が建てられたそうです。な~るっ。
↑杉家吉田松陰幽囚宅内部
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④一番奥に松陰神社本殿、松門神社があり、そこでおみくじを買いました。松陰神社でおみくじをひくのは意味があるような気がして。
↑松陰神社で大吉なのは嬉しいですね。新しいことが自分にも起こりそうな気がしてきましたよっ。(←単純)
松陰神社内には碑がいくつかあるので紹介します。
↑「親思ふこころに勝る親心 けふの音づれ何ときくらむ」。処刑前、家族宛てへの別れの手紙の中に書かれていた辞世の句。
「明治九年萩の變七烈士殉難之地」…松下村塾出身で前参議・前原一誠らによる萩の乱。彼も西郷さんと同じく戦うつもりは無かったようですが、不平士族を止めることはできなかったようです。
余談ですが、吉田松陰の叔父に当たる玉木文之進は萩の乱で責任をとる形で切腹しました。玉木文之進は厳しい教育で知られており、吉田松陰やあの乃木希典も教育しています。
玉木文之進については司馬遼太郎の「世に棲む日日」で、前原一誠の萩の乱とその周辺は、「翔ぶが如く 」で知ったのですが、幕末の長州藩はもっと知りたくなる人物がたくさんいますね。