朝食を食べ、萩循環まぁーるバス(今日は”晋作くん”)に乗り、萩博物館バス停まで向かうことにしました。
途中、バスから萩城の外堀が見えました萩城からあまりにも離れているんで、ここが萩城外堀とは、この時はわかりませんでした。北の総門(復刻)がポツリとあったんで、なんとなくわかったんですが…
外堀周辺を当時のように再現しようとしているのか、新しい総門がぽつりとあり、不自然な状態です;;
↑不自然なぐらいにピカピカの総門。
萩博物館前バス停に着くと、いきなり田中義一(大将)の銅像がありました。幕末ではありませんが、幕末は明治に繋がるので今後のために写真をパチリ。今後、「坂の上の雲」を読んでいるんで、明治のことも知らないと、と言う思いもあり。
①萩博物館に行く前に、家老の屋敷②③を見に行くことにしました。
萩は幕末時代をイメージしやすい程、家々&通りがそのまま残ってます。
外堀より内側は家老の屋敷が現存しており、その雰囲気を今でも感じ取ることができます。
↑萩古地図から。①萩博物館 ②旧周布家長屋門(周布治部) ③旧益田家物見矢倉(益田弾正)
まず始めに②「旧周布家長屋門」に行きました。この辺り一直線、人が誰もいないっす。
古地図には周布治部と大木屋と書いてあります。
↑人がいないっ。朝だったのもありますが、とにかく人がいない!
屋敷は中も見ることができましたが、内装は色が落ちていました。ちと残念。以前金沢にいったときは、屋敷の内装がとても充実していたことに驚いたことがあります。もちろん入館料を取られましたが。
次に隣の③旧益田家物見矢倉があり、通りがけに写真を撮りました。古地図には益田弾正(家老)と書いてあります。益田弾正と言えば、禁門の変の責任者の一人で、切腹した家老の一人です。
ここらで一旦、家老周辺の屋敷から離れ、次は上士の家に行ってみます。
桂小五郎や高杉晋作の育った町を見るのが、今から楽しみです。