再び土佐藩邸跡です。
以前「土佐藩邸跡の大きさは、高瀬川の立誠小学校から河原町通りまで続く」という記事を更新しましたが、同様の内容です。
今回は、古地図で土佐藩邸の大きさを紹介します。上の古地図を見てみると、やはり東は木屋町通り横の高瀬川から西は河原町通りまで土佐藩邸があったことがわかります。
下の現在の地図でいうと、丁度青く囲った四角の線にあたります。大きいでしょう。しかし、薩摩藩や長州藩等はもっと大きくて、さらに藩邸が複数ありました。
(古地図:慶応四年戊辰二月再刻 書肆文叢堂 竹原好兵衛版 「改正京町御絵図細見大成」より)
土佐藩邸の大きさを知ったことで、一つ疑問があります。それは…
坂本龍馬が暗殺された場所②「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地(近江屋)」は、真向かいに土佐藩邸があったことになります。
ではなんで、本屋「菊屋」の峰吉は、龍馬や中岡慎太郎が切られたことを、わざわざ陸援隊屯所(現在の京大農学部辺り)まで連絡に行ったのでしょうねぇ。目の前の土佐藩に普通は行くものですが…。
峰吉はウソをついてる???
坂本龍馬&中岡慎太郎暗殺事件はミステリーですな。
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