順に京都四条から三条周辺の幕末史跡めぐりをしてます。
三条通り一つ下の小道、通称「龍馬通り」を歩くと⑥「坂本龍馬寓居之趾」碑があります。
ここは材木商「酢屋」と呼ばれている場所で、坂本龍馬がかくまっていた場所でもあります。
今回は⑥「坂本龍馬寓居之趾」碑がある材木商「酢屋」を紹介します。
「坂本龍馬寓居之趾」碑がある材木商「酢屋」
三条通りの一つ南側にある⑥「坂本龍馬寓居之趾」にやってきました。
⑥「坂本龍馬寓居之趾」は、通称「龍馬通」にある材木商「酢屋」を差しています。上の写真の右端に「坂本龍馬寓居之趾」碑が見えています。
この「酢屋」は亨保6年(1721年)創業の材木商で、今でも現存しています。
幕末に坂本龍馬をはじめとした海援隊を匿っていたことでも有名です。そのため、ここは海援隊の京都本部ということにもなります。
現在も酢屋はあります。竜馬が住んでいた2階は「ギャラリー龍馬」として現在営業されています。龍馬関係の資料もあり。
享保6年~現在までの280年間、この場所にに現存しています。すごいですね。
「坂本龍馬寓居之趾」碑を拡大。入口右下に「坂本龍馬寓居之趾」碑があります。
入口にはに木の板で「坂本龍馬史蹟之一端」とあり、その下に海援隊本部・酢屋嘉兵衛宅と書かれています。
海援隊京都本部の名簿が書かれています。
6代目の酢屋嘉兵衛は、すぐ近くにある高瀬川の開墾の許可を得ている角倉家から材木独占輸送件を得ていたことから材木商以外に運送業も営んでいたそうです。
最後に
坂本龍馬はよく乙女姉やんに手紙を書いていましたが、その中に「京都の三条河原町一丁下る車道 すや(酢屋)に宿申し候」と書いています。
手紙は「すや」と平仮名ですが、確かにここ「酢屋」のことです。
龍馬は確か酢屋の2階から鉄砲で撃っていたそうですね。いやぁ、今でも現存することはすごいです。当時を空想してしまいますね。
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