地図では①龍馬宿泊所跡、②対仙酔楼、③龍馬観音、そして④対潮楼・福禅寺を歩いてきました。
今回は⑤鞆の津の商家からになります。
鞆の津の商家、「保命酒・入江豊三郎本店」の酒蔵
④対潮楼の後、そのまま細い路地を歩いていくと、所々に古い町並みが顔を出してきます。白壁はいつ見てもいいですね。
江戸時代の家を見かけると思わず、足を止めて見入ってしまいます。
しばらく進むと車が通る細い道に出ます。そこには福山市重要文化財⑤鞆の津の商家があります。
ここは江戸末期の商家で、入口付近は当時のものに復元しています。
⑤鞆の津の商家。江戸末期のもの。
2階に虫籠窓(むしこまど)があります。灰色と白の壁の組み合わせが絶妙。
その近くに、またもや保命酒屋があります。先程のお店「保命酒・入江豊三郎本店」の酒蔵です。ここには「入江保命酒本店資料館」がありました。
といっても小さな展示スペースがあり、あまりに小さいので、「これだけですか?」って聞いたぐらいです。(→どうやら資料館は閉鎖されたようです。)
展示物はほとんどありませんでしたが、ある一文に食い入るように見入ってしまいました。
入江本店の保命酒。元祖だそうです。
十六味保命酒説明文によると…
「日本外史の頼山陽も保命酒を愛飲し、また朝鮮通信使、三条実美ら七卿落ちの一行も、このお酒を愛でて詩文を残しています。
「三条実美」、「七卿落ち」ついに探していたキーワードが登場です。
七卿落ちについては非常に興味を持っていたので、やっとこのキーワードが出てきたことに驚喜しました。この土地が龍馬だけではないことに、幕末好きとしてはさらに興味を抱かせられました。
いろは丸事件談判跡「御舟宿いろは」
⑤鞆の津の商家を後にし、少し南に下がると、⑥いろは丸事件談判跡があります。慶応3年、いろは丸事件の賠償交渉の場所として使用されました。
坂本龍馬は長岡謙吉らと参加しました。説明文には「旧魚屋萬蔵(ウオマン)宅で魚問屋などを営む船宿(問屋)跡」と書かれています。
結局、談判はまとまらず、紀州藩の明光丸は長崎にむけて出航していきます。龍馬達海援隊は追いかけて長崎へ向かっていきました。長崎では、家老・後藤象二郎も交渉に加わっています。
↑⑥いろは丸事件談判跡。旧魚屋萬蔵宅。
↑⑥いろは丸事件談判跡の碑
現在は「御舟宿いろは」という旅館に改装されています。また、宮崎駿監督プロデュースのカフェもありました。
前回書きましたが、⑥いろは丸事件談判跡だけではなく、④福禅寺・対潮楼でも談判は行われていたそうです。
次回につづく
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