吉村寅太郎が長州藩と出会い、天誅組を作っていった流れがよくわかる寓居

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武市半平太が仮住まいとしていた丹虎の隣の家の隣に、吉村寅太郎の仮住まいがありました。

京都幕末地図7-8
⑧「吉村寅太郎寓居之址」…武市半平太が仮住まいとしていた丹虎の隣の家。後に天誅組に入り、京都で活動していたときの住まいです。

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↑ちりめん洋服発祥の地碑の右後ろに、吉村寅太郎寓居之址碑があります。看板に隠れていますがわかりますか。

 

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↑隣にある狸の存在感がスゴイ!;;

 

土佐藩・吉村寅太郎はまず武市半平太が率いる土佐勤王党に入ります。その後、長州へ行って久坂玄瑞に武市半平太の手紙を渡しています。この彼の行動力により長州藩や薩摩藩等の尊皇攘夷志士達と出会うことになり、土佐藩脱藩、寺田屋事件、そして天誅組に繋がっていったんでしょう。

 

現在の幕末の志士としてはあまり知られてないですが、当時では有名な志士だと言えるでしょう。幕末を好きになると、天誅組を気になり始めるんですよね~。

彼は短い人生でしたけど、沢山の志士達と出会い、行動範囲も広いんで、もっと小説に書かれて、有名になってもいいのにな~と感じました。

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