勝海舟の大坂寓居跡である専称寺は、今の大阪のどのあたり?

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幕末大阪古地図

幕末関係の小説を読んでいると、坂本龍馬が頻繁に大坂を行き来する場面が登場します。では龍馬は大坂のどこを拠点としていたのでしょうか?

それは勝海舟の寓居である専称寺です。専称寺とは勝海舟が大坂で海軍塾を始めた場所です。

いずれこの勝塾は、神戸海軍操練所と神戸海軍塾になりますが、それまでの間、大坂を拠点に活動していました。北鍋屋町は津本陽の「龍馬」や龍馬伝にも登場しています。

地元に住んでるとどうしてもその場所が知りたくなります。大阪に勝海舟や龍馬がいたって知ったらワクワクしてきました。古地図を頼りに調査し、その周辺を歩いてみることにしました。

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大阪の専称寺はどこ?

大坂海軍塾となった専称寺は、どうやら北鍋屋町という場所にありました。しかし現在、北鍋屋町は存在しません。そういう時は古地図の出番です。

幕末大阪古地図

大坂古地図より

上の大坂古地図①を見てください。これは本町から北東に入ったあたりの古地図です。北に行くと淀屋橋、北浜周辺になります。

右側に川がありますが、これは東横堀川といいます。その川の”東”と書かれている箇所の左上に「瓦丁(かわらちょう)」と書かれていますが、これが現在の瓦町です。

その北にある「アハチ丁」が淡路町「平ノ丁」が平野町「ダウンシュ丁」が道修町です。

 

この辺り船場は、横が「町」で、縦は「筋」で表しています

上の古地図の中央丈夫に「サカイスチ」とあるのは堺筋のことです。左に一つ通りをあけて、「中ハシスチ」とあるのは中橋筋、もう一つあけて「ドブイケスチ」とあるのは丼池筋のことです。

 

大坂古地図/北鍋屋町と南鍋屋町周辺

↑大阪古地図②(大阪古地図①を拡大)

大阪古地図①を分かりやすく拡大したのが上の大阪古地図②です。これらは現在の町名と全く同じです。町名って何気なく使ってるけど。結構歴史があることがわかります。

そのアハチ1丁メ(淡路町1丁目)を西に行くと、「ニ丁メ(淡路町2丁目)」とあり、その西にありました。

「北ナヘヤ丁」、これが今回の目的である「北鍋屋町」です。当時ここに専称寺がありました

引き続き古地図②に注目してください。道修町(ダウシュ丁)は1丁目から2丁目、そして3丁目と続いています。その下の平野町(平ノ丁)も同様、1丁目から3丁目まであります。

しかし、その下を見てください。淡路町は2丁目で終わり、3丁目があるところから北鍋屋町となっています。そして瓦町も同様、2丁目までで、そこから南鍋屋町となっています。

 

では、現在はどうなっているのでしょうか?

大阪市内地図

これが現在の地図です。現在は堺筋までが1丁目になります。そして堺筋から三休筋までが2丁目、三休筋から左が3丁目となります。例えば、地図にある郵便局や船場ビルディングは淡路町2丁目となります。

ということは…。

淡路町3丁目はスワン大阪第1ビルやAAホールがある箇所からになります。つまり、北鍋屋町はこの辺りにあったと推測されるのです。

これらの情報を頼りにいざ出陣!

続きを見る大坂海軍塾跡・勝海舟寓居跡「専称寺」と近藤長次郎ゆかりの地「大和屋弥七邸」を歩く

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