鹿児島幕末旅行2日目は石碑&銅像中心に巡っています。
夕方になり、日が暮れてきたので、急いで照国神社に行くことにしました。
照国神社の幕末関係、島津斉彬像・島津久光像・島津忠義像・戊辰戦争顕彰碑を歩いてきました。
照国神社とは?
照国神社は、島津家の第28代当主・島津斉彬を御祭神とする神社です。「銅像もあるので、これはぜひとも見に行かないと」と行ってきました。
場所は西郷隆盛像のすぐ西にあります。すぐ隣です、近いです。
この辺り(西郷像から東一体)は鹿児島城(鶴丸城)跡で、その西側に照国神社が建てられました。
元治元年(1864年)に南泉院という東照宮の別当寺に社殿を造営、照国神社としました。孝明天皇の勅命により照国大明神の神号を授けられました。
神社の背後は、山に囲まれており城山になっています。私が宿泊したホテル「城山観光ホテル」もすぐ近くに見えるんですが、如何せん高低さがありすぎてすぐには戻れません。近くにありながら遠いんです。
照国神社境内。拝殿から入口付近を見た様子。色々なところに薩摩藩の家紋があります。
斉鶴(さいかく)と言われるイヌマキを鶴の形に仕上げたものがあります。確か仙巌園でも石で造られた斉鶴がありました。鳥の羽を広げたように見えますね。
島津斉彬像
照国神社を参拝した後、隣りに鶴丸城庭園の一部である探勝園跡があり、そこに島津斉彬像があるということでもちろん見に行きました。
行ってみると探勝園というよりは、公園といった感じでした。
島津斉彬像を真下から撮影。
島津斉彬像、銅像のみ拡大。朝倉文夫氏の作品。島津斉彬像はいい表情につくられています。
島津斉彬像の台座を見ると正式には「贈正一位島津斉彬公之像」と書かれています。
島津久光像
次に島津久光像に行きました。少し東に進み、丁度生い茂った木の前、池の後ろ辺りにあります。
探勝園の名残でしょうか。島津久光像はふてくされたような表情に見えますね(私にはそう見えるだけかもしれませんが)。
斉彬像と同じく朝倉文夫氏の作品。
台座には「従一位島津久光公之像」と書かれています。
島津久光と西郷隆盛は仲が悪かったことは有名です。もちろんそれは久光の母であるお由羅に関することからきています。
寺田屋騒動(薩摩藩同士の争いの方)が無ければ、どうなっていたのでしょう?想像してみると面白いです。もう少し早く明治維新がやってきたのかもしれません。
薩摩藩幕末前期に関することは、海音寺潮五郎の「寺田屋騒動」によく書かれています。彼は鹿児島出身で、司馬遼太郎も尊敬している人なので、ぜひとも読んでみてください。
「寺田屋騒動」は小説というよりは彼自身の薩摩藩史講演といった感じでしょうか。非常に読みやすく、そして歴史の複雑さがわかって面白いですよ。
島津忠義像
そして最後に3つ目の銅像「島津忠義像」に行きました。
彼だけが洋服であり、時代の移り変わりを感じさせられます。これも朝倉文夫氏の作品です。
斉彬の遺言により忠義は第29代当主となりましたが、おそらくこの遺言は本物なのでしょうか?お由羅騒動が関係しているので本物なのかが実際のところよくわかりません。
彼は明治になっても髷を切らなかったそうです。洋服+髷って不思議な感じですね。銅像は残念ながら帽子をかぶっています。
台座には「従一位島津忠義公之像」と書かれています。
戊辰之役戦士顕彰碑
幕末関係と言えばもう一つ戊辰戦争の顕彰碑があります。正式名は「戊辰之役戦士顕彰碑」。
場所は島津斉彬像のすぐ隣りにあります。
照国神社アクセスマップ
照国神社の地図。島津斉彬像・島津久光像・島津忠義像・戊辰戦争顕彰碑の場所がわかるように描いてみました。
- 住所:鹿児島市照国町19-35(Google Map)
- 電話番号:099-222-1820
- アクセス①:市電「天文館」電停下車、徒歩8〜10分
アクセス②:市電「朝日通」電停下車、徒歩9〜10分
天文館からは商店街を抜けていくと着きます。朝日通からは西郷隆盛像の南西付近にあります。
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