「大久保利通君誕生之地(生い立ちの地)」と「牧野伸顕誕生之地」碑を歩く

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「大久保利通君誕生之地(大久保利通生い立ちの地)」碑と「牧野伸顕誕生之地」碑

2日目は石碑&銅像中心に巡っています。「元帥公爵大山巌誕生之地」碑「西郷隆盛誕生地」と「西郷従道誕生地」碑維新ふるさと館を巡りました。

次の目的地は「大久保利通君誕生之地」碑と「牧野伸顕誕生之地」碑を歩いてみました。

 

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「大久保利通君誕生之地(大久保利通生い立ちの地)」碑

鹿児島中央駅-加治屋町周辺地図(大久保利通生い立ちの地・銅像)

「維新ふるさと館」からそのまま甲突川沿いを歩くと、「久保利通生い立ちの地」があります。正式には「大久保利通君誕生之地」と書かれています。

 

「大久保利通君誕生之地(久保利通生い立ちの地)」碑

いやぁこの周辺、非常に暗すぎます。碑が何て書いてあるのか文字が見づらいんです。木が生い茂ってるから石碑の下辺りが非常に暗い。

誕生地と石碑には書かれていますが、正確には生い立ちの地です。大久保利通が年少期をすごした場所ということになります。

では「実際の誕生地はどこか?」と疑問がありますが、それは高麗町にあります。

 

「大久保利通君誕生之地(大久保利通生い立ちの地)」碑と「牧野伸顕誕生之地」碑

説明板によると、大久保は1830年(天保元年)下級役人琉球館付役を務め、学識豊かな利世(子老)を父として高麗町に生まれ、まもなく下加治屋町に移りました

高麗町は目の前にある甲突川の向こう側にあることから、下級武士が住む町と言われたため、大久保自身が気にしていて石碑が「誕生の地」になったのかもと言われています。

3つ年上の西郷隆盛とは薩摩独特の郷中教育の中で、兄弟以上の信頼で結ばれていました

 

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「牧野伸顕誕生之地」碑

「大久保利通君誕生之地(大久保利通生い立ちの地)」碑と「牧野伸顕誕生之地」碑

そして「大久保利通君誕生之地(大久保利通生い立ちの地)」碑の左下に小さく「牧野伸顕誕生之地」の碑もあります。

牧野伸顕は、大久保利通の次男ですが、生まれてすぐに牧野吉之丞の養子となり牧野姓となりました

 

「牧野伸顕誕生之地」碑

彼は岩倉使節団の一人として同行、明治・大正時代に活躍した政治家です。尚、麻生太郎氏は曾孫(ひ孫)にあたります

 

「大久保利通君誕生之地(大久保利通生い立ちの地)」碑と「牧野伸顕誕生之地」碑

西郷生誕地同様(西郷隆盛、西郷従道)、碑が隣りに並んでいますが、今回も大きさが違いすぎますね。

西郷隆盛の家と大久保の家がすぐ近くにあるのが実際に歩いてみるとよくわかります。

ただ、大河ドラマ「西郷どん」のようにすぐ隣りではなく、100mほど歩いたところにあります。

高見橋駅すぐにある「大久保利通像」とあわせて足を運んでみてください。

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