仙巌園の後、尚古集成館に向かいました。尚古集成館は仙巌園のすぐ横にあるので歩いて行けます。チケットもセットで購入しました。
入館料とアクセスについては下の仙巌園の記事を読んでもらうとわかると思います▼
関連:島津家庭園「仙巌園」に行ってきた!見どころや行き方(アクセス)
尚古集成館の館内は写真撮影禁止だったので、残念ながら写真はありません。
見どころや館内を見学した感想を紹介します。
尚古集成館
尚古集成館は薩摩藩主・島津斉彬の、集成館事業(近代洋式工場)計画の一つです。現在はその建物を使った博物館になっています。
現在の「尚古集成館」は、当時「集成館機械工場」でした。
集成館機械工場とは、旧集成館(今の仙巌園にある反射炉など)で使われた機械・機関類を整備補修するための工場です。
日本で初めてアーチを採用した石造洋風建築物で、火山由来の凝灰岩で壁を作っています。
日本の当時の技術を使って、当時見た洋風建築を再現するのは本当にすごいですね。
館内は、島津家の歴史、琉球との貿易、大砲や銃、薩摩切子、薩摩焼が展示されていました。
1851年薩摩藩主となった島津斉彬は、集成館事業を開始します。反射炉、溶鉱炉、ガラス工場、蒸気機関製造所等がそれです。
1858年に斉彬は突如亡くなってしまい、集成館事業は一時縮小されてしまいましたが、薩英戦争(1863年)で、集成館事業の重要性を再認識し、集成館機械工場(尚古集成館)が慶応元年(1865年)建てられました。
現在、国の重要文化財であり、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する「旧集成館」の機械工場として世界遺産に登録されています。
1857年に撮影した日本で最古と言われている島津斉彬の写真(銀板)も館内にありました。
「明治天皇行幸所集成館」碑
↑尚古集成館の真向かい。桜島とJR日豊本線が見えます。
仙巌園と尚古集成館を堪能し、カゴシマシティビューで戻ります。
関連:「[薩摩藩]幕末ゆかりの地・史跡・銅像 一覧」に戻る
関連:「2泊3日鹿児島幕末旅行 まとめ」に戻る