大阪市内の阿波座駅近くに薩摩堀公園という小さな公園があります。その薩摩堀公園内に「薩摩堀川跡」という碑があります。
古地図と照らしながら「薩摩堀川跡」を歩いてみました。簡単な説明もあわせて紹介します。
薩摩堀公園にある「薩摩堀川跡」碑
薩摩堀公園にやってきました。では公園に入ってみます。
ビルとビルに囲まれた中にある小さな公園が「薩摩堀公園」です。遊具も最小限。
薩摩堀公園内の南側、木が植えられている箇所に「薩摩堀川跡」碑がありました。
木が生い茂っているので気が付きにくいのですが、たしかに「薩摩堀川跡」です。
この碑は江戸時代、この場所に薩摩堀川があったことを表す碑です。残念ながら全て埋め立てられているので、堀はありません。
薩摩堀川とは?
大阪市内には中之島の下に土佐堀川、その下を京町堀川、阿波堀川(阿波座堀川)、立売堀川と横に流れていまいた。
これらの4つの堀川は、東側は西横堀川から流れ、西側の百間堀川や木津川に繋がります。これらの川を使いお米や青物、魚などを舟で運んでいました。
その京町堀川から直角に南に曲がりL字の逆に曲がって百間堀川に流れる川が薩摩堀川と言います。
この古地図に青色の線で表記したのが薩摩堀川です。カタカナで「サツマホリ」と書かれています。
そして北側の川は阿波座堀川(阿波堀川)。カタカナで「アハサホリ」と書かれています。
この場所が現在の薩摩堀公園付近になったことから「薩摩堀川跡」の碑が立っているのです。
薩摩堀川は1628年(寛永5年)に薩摩屋仁兵衛が削った人工の運河。
中之島南には「薩摩藩蔵屋敷」があり、この周辺には黒砂糖や琉球表などの薩摩藩の物産を扱う問屋が7軒もあったことから、薩摩藩の舟が頻繁に出入りしていたことから薩摩堀川と名付けられました(参考:Wikipediaより)。
薩摩堀川は1951年(昭和26年)に埋め立てられて、現在の姿になっています。
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