「西郷隆盛誕生地」と「西郷従道誕生地」碑を歩く

スポンサーリンク

「西郷隆盛君誕生之地」碑と「西郷従道誕生之地」碑

2日目は石碑&銅像中心に巡っています。まず最初に「元帥公爵大山巌誕生之地」碑を巡りました。

そのまま次の目的地である「西郷隆盛君誕生之地」碑と弟の「西郷従道誕生之地」碑に向かいます。

 

スポンサーリンク

「西郷隆盛君誕生之地」碑

加治屋町周辺地図(大山巌誕生地、西郷隆盛誕生地、維新ふるさと館)

大山巌誕生地を見た後、そのまま南に下り、橋の手前で右折しました(地図参照)。するとすぐに「西郷隆盛誕生地」があります。

 

「西郷隆盛君誕生之地」碑

現在は小さな公園になっています。石碑には「西郷隆盛君誕生之地」と書かれています。

西郷隆盛は1827年(文政10年)、この地・加治屋町に小姓与・吉兵衛の長男として生まれました。この周辺は郷中教育が盛んで、家族やその周辺の仲間たちで文武教育や禅学を修めていました。

17歳に郡方書役助、島津斉彬に登用されてからは一気に活躍の場を広めていきます。

余談ですが、慶応元年5月1日、坂本龍馬が鹿児島に入り、西郷さんの家に泊まっています。西郷夫人(糸子)が子孫に語った「龍馬のふんどし」の話は有名ですね。

 

スポンサーリンク

「西郷従道誕生之地」碑

「西郷隆盛君誕生之地」碑と「西郷従道誕生之地」碑

そしてその右に弟の西郷従道の碑「西郷従道誕生之地」も、右側に小さくあります。弟の従道も同じ家に住んでいたので当然ですが、西郷さんに比べれば、小さめですね。

西郷隆盛の弟として1843年(天保14年)にこの地・加治屋町に生まれました。兄の隆盛とは16歳も離れています。

大河ドラマなどを見ていても最初のシーンの従道は赤ちゃんから幼児ですよね。それだけ年が離れています。

西郷従道も大山巌同様、戊辰戦争から西南戦争(新政府軍)、日清・日露戦争と各戦争での功績で、元帥海軍大将従一位大勲位功二級侯爵という位階です。

 

「西郷隆盛君誕生之地」碑と「西郷従道誕生之地」碑

西郷隆盛君誕生之地碑と西郷従道誕生之地碑を拡大。

西郷従道は明治以降の活躍でこのような位階ですが、地元の人はやはり西郷さんの弟となるので、このように小さな碑になっています。

 

関連:「[薩摩藩]幕末ゆかりの地・史跡・銅像 一覧」に戻る

関連:「2泊3日鹿児島幕末旅行 まとめ」に戻る