「海軍大将大勲位伯爵 樺山資紀邸趾(跡)」碑を歩く

スポンサーリンク

海軍大将大勲位伯爵樺山資紀邸趾」碑

鹿児島幕末旅行2日目は石碑&銅像中心に巡っています。

次は「高見橋」電停前にある「樺山資紀(かばやますけのり)邸跡」碑に行ってみました。

 

スポンサーリンク

海軍大将大勲位 伯爵樺山資紀邸跡

鹿児島中央駅-加治屋町周辺地図(大久保利通生い立ちの地・銅像)

「鹿児島中央駅前」電停から路面電車で一駅乗ります。「高見橋」電停で降りると目の前に碑があります。

近づいてみると「海軍大将大勲位伯爵樺山資紀邸趾(跡)」と書かれてありました。

 

「海軍大将大勲位伯爵樺山資紀邸趾」碑

樺山資紀(かばやますけのり)と言えば、兄は寺田屋事件で亡くなった橋口伝蔵です。資紀は後に樺山家の養子になり、名字が変わります。

西南戦争では熊本鎮台・谷干城の下で、参謀長として熊本城を死守した一人です。彼の長男は樺山愛輔で、その子が白洲正子です。薩摩藩のつながりってすごいですね。改めて思いました。

 

海軍大将大勲位伯爵樺山資紀邸趾」碑

警視総監陸軍少将となり、ここで海軍に変更します。その後、第1次松方内閣では海軍大臣にもなりました。

日清戦争後には海軍大将、初代台湾総督、第2次松方内閣では内務大臣に就任など超エリートコースを進みました。

タラレバはありませんが、もし橋口伝蔵が寺田屋事件で死ななければ、その後はどうなったのでしょうね?

西南戦争で西郷隆盛についていたか?それとも樺山資紀のように薩摩藩のエリートコースを歩んでいたのかもすれません。

 

再び、高見橋電停に降りたのは、もちろん大久保利通像を見るためです。今からゆっくり見に行こうと思います。

  • 住所:鹿児島市中央町14

関連:「[薩摩藩]幕末ゆかりの地・史跡・銅像 一覧」に戻る

関連:「2泊3日鹿児島幕末旅行 まとめ」に戻る