鹿児島幕末旅行2日目は石碑&銅像中心に巡っています。
一度、JR鹿児島中央駅に戻り、銅像「若き薩摩の群像」を見に行くことにしました。
銅像「若き薩摩の群像」
JR鹿児島中央駅に戻ります。昨日通ったときにどうしても見たかった「若き薩摩の群像」に、今日行くことにしました。
場所は鹿児島中央駅前電停横です。
若き薩摩の群像は、慶応元年(1865年)鎖国の中、極秘海外留学を果たし、のち明治の日本を築いた19名の銅像です。
留学生と共に同行した新納久修(のち家老)や五代友厚(のち初代大阪商工会議所会頭)、松木弘安(のち寺島宗則)らは、イギリスで紡績機械を購入。
慶応3年(1867年)、鹿児島市磯に7名のイギリス人技師により、日本最初の機械紡績工場・鹿児島紡績所が建設されました。19名が各々、明治に活躍しました。
海外留学した薩摩藩士19名の名前
極秘海外に留学した19名の薩摩藩士をまとめてみました。
- 新納久修
- 五代友厚
- 松木弘安
- 堀孝之(長崎のオランダ通訳堀家の生まれ・通訳として参加)
- 町田久成
- 村橋直衛
- 畠山義成
- 名越時成
- 鮫島尚信
- 田中盛明
- 中村博愛
- 森有礼
- 吉田清成
- 市来和彦
- 高見弥一(大石団蔵):土佐藩(土佐勤王党)
- 東郷愛之進
- 町田実積
- 町田清次郎
- 磯永彦助
ただしこの19名の中の堀孝之と高見弥一は薩摩藩ではないので銅像になっていません。つまり、銅像は17人ということになります。
堀孝之は長崎海軍伝習所で五代友厚と親交があり通訳として参加。また高見弥一は土佐藩で武市半平太がいた土佐勤王党の一人です。
「若き薩摩の群像」は彫刻家である中村晋也氏がつくったもので、鹿児島では「大久保利通像」も造っています。
大阪城内の豊国神社にある「豊臣秀吉像」も同氏がつくられたものであることがわかり、彼に非常に興味を持ちました。
若き薩摩の群像は鹿児島中央駅前にあるため、全員が目にするシンボル的存在となっているようです。
待ち合わせ場所に使われたりしているのかもしれません。
- 住所:鹿児島市中央町
- アクセス①:JR鹿児島中央駅、すぐ前
アクセス②:市電「鹿児島中央前」電停横
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