幕府

八軒家船着場跡近くに、新選組定宿の京屋忠兵衛跡あり。

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↑八軒家浜船着場の様子。三十石船が到着しています。安藤広重・画

幕末、天満橋駅周辺に八軒家浜という船着場がありました。この発着場から淀川を上り、伏見港、そして寺田屋前まで行き来していました。船は三十石船です。

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三十石船については「寺田屋前から三十石船に乗り、幕末を感じてみる」で書いてあるので、それも見てください。三十石船というのは、だいたい三十人程度の客を乗せることができる船のことです。
京の伏見を夜半に出発し、翌朝に大阪・八軒家に到着したそうです。また、伏見への上りは時間はやはり倍かかり12時間の船旅だったそうです。川が逆流ですからね。

 

余談ですが、淀川の真ん中に枚方という場所があります。江戸時代、この辺りでくらわんか船が出て「食らわんか」と食べ物を船こしから販売していました。僕は寝屋川に住んでいたことがあるので、くらわんか船のことは小学校から知っていました。幕末に興味を持ち出し、小説にくらわんか船の話が出てきたとき、昔の記憶が蘇りました。その時、点と点が繋がって線になったのです。

 

安藤広重画・三十石舟
↑三十石船にくらわんか舟が近寄っている絵。安藤広重・画

 

話を元に戻します。下の地図を参考にしてください。
天満橋幕末地図

最近、大阪を水の都に戻そうプロジェクトにより川周辺が綺麗になりました。①八軒家浜船着場も復活して大阪を水上バスで見て回れるようになっています。
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↑八軒家浜に到着した水上バス。右が天満橋。

 

天満橋発の水上バス
↑水上バスが出発しました。中之島周辺をまわるのでしょうか。

 

八軒家浜船着場は薩摩、長州だけでなく勝海舟や龍馬ももちろん、新撰組も、そして徳川慶喜までも利用していました。当時の②八軒家船着場跡が大阪・天満橋の永田屋昆布本店前にあります。当時はここまで川だったんですね。現在は京阪シティモールを挟んで北側にあります。

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↑京阪・天満橋駅前の永田屋昆布本店。八軒家船着場跡。

 

 

写真撮影の後、西の方にうろうろしていると突然、「誠」という文字が目に入ってきました!なぬぅ!

「③この付近、天満八軒屋船宿、京屋忠兵衛跡、幕末新選組の近藤勇や土方歳三、沖田総司の常宿だった」と書かれた碑というかプレートがありました。

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↑偶然にも発見したプレート。

 

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↑世界チーズ商会株式会社、チーズ屋さん、FROMAGEというお店に貼られていました。となりは福助ビル。

 

徳川慶喜が大阪城に来た時、新選組も大阪城に入りましたが、慶喜が大阪を去り江戸に戻った後、混乱の中、大阪城が燃やされてしまったため、新選組はこの船着場周辺にあった京屋忠兵衛の宿に泊まっていたそうです。それがこの辺りだそうです。
この隣に寺田屋と提携している堺屋源兵衛がありました。寺田屋つながりで坂本龍馬も堺屋源兵衛に泊まっていたんでしょうね。

 

上の安藤広重の絵にもあるように、八軒家浜は階段になっており、そこから南側に上町台地が広がっていました。その名残りを見ることができます。この辺り、階段や坂が多いんです。でもこういう歴史を知ると坂にも興味を持ってきますね。タモリさんのように(笑)。

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↑奥に坂があるのわかりますか?

 

そして驚いたんですが、なんとこの八軒家浜が熊野古道に続く熊野街道の出発点だそうです。京屋忠兵衛跡プレートのスグ西横にある交差点に「熊野かいどう」の説明があります。
もし行かれる方はここもチェックしてみてください。

 

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↑熊野街道スタート地点。熊野かいどう碑、説明文あり

この碑によると、「熊野街道は、このあたり(渡辺津、窪津)を起点にし、熊野三山に至る道である。京から淀川を船で下り、この地で上陸、上町台地の西側…を通行したものと考えられている。…江戸時代には、八軒の船宿があったことから「八軒家」の地名が生まれたという。」

 

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↑「熊野街道」碑文・拡大。

 

いやぁ、知りませんでした。これを知ったことで世界遺産の熊野古道にも少し興味が出てきましたよ。いつか、八軒屋から熊野街道を通り、参拝してみようかなぁ。しかし体力がない…;;

参考:「八軒家の今昔:熊野街道のはじまり」

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