小松帯刀像を歩く

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小松帯刀像

鹿児島幕末旅行2日目は石碑&銅像中心に巡っています。

大久保利通像」を見た後、次の目的地は「小松帯刀像」と「西郷隆盛像」に行ってみました。

今回は「小松帯刀像」を紹介します。

 

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小松帯刀像

小松帯刀像・西郷隆盛像地図

市電「朝日通」電停を宝山ホール・中央公会堂方面に歩くと、向かいにある小松帯刀像に行きました。

 

小松帯刀像

小松帯刀像は宝山ホール(県文化センター)前にあります。西俣敏弘氏の作品。

袴に隠れているのでどうも足が短いような気がしますが、小松帯刀像を見たときは嬉しかったですね。

小松帯刀像の台座には以下のような説明文があります。

明治維新の推進者 小松帯刀像銘文

この像は京都二条城会議で真っ先に筆をとって署名し、将軍徳川慶喜に大政奉還を勧告、王政復古を実現させた小松帯刀の功績をたたえる像である。

時に小松33歳。慶応3年(1867年)10月13日であった

銅像寄贈者:小松帯刀顕彰会
碑銘:国務大臣・金丸三郎

参考:小松帯刀像銘文より

 

本当にそのとおりだと思います。今では坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通が有名ですが、実は小松帯刀がいるからこと実現できたことが多いんですよね

それがもっと有名になってほしいという思いがあるので、この銅像は本当に嬉しかったです。

 

小松帯刀像

小松帯刀はこれまで注目されていませんでしたが、ドラマ「篤姫」で一挙に話題になり、有名になりました。これはとても嬉しいことですね。

やはり藩の場合は、家老が重要であるにもかかわらず、ドラマ等では端折られることが多いんですよね。

坂本龍馬が「日本で初めての新婚旅行」と言われていますが、どうやら小松帯刀がそれより10年早く霧島に新婚旅行に行っていたそうです。まぁ、それを言ったらどんどん出てきそうな話題ではありますが…。

明治維新の立役者となった小松帯刀ですが、版籍奉還を実現した次の年(明治2年)に亡くなってしまいます。

彼が生きていたらどうなっていたのだろうか?色々と考えてしまいます。彼の死は本当に残念です。

 

小松帯刀像と西郷隆盛像

小松帯刀像を後にして、目の前にある西郷隆盛像に向かいます(つづく)。

  • 住所:鹿児島市山下町5-3
  • 電話番号:099-298-5111(観光交流センター)
  • アクセス:市電「朝日通駅」下車、徒歩3分

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