長州藩

木屋町三条から大村益次郎と佐久間象山遭難の地を歩く

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長州藩中心に京都を回ってみようと思います。まず、木屋町三条に来ました。最寄り駅は京阪三条です。

 

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大村益次郎&佐久間象山

三条高瀬川にある橋に一つの石碑があります。そこには①「佐久間象山先生遭難之碑&大村益次郎卿遭難之碑」と書かれています。決して同じ日に遭難したわけではありません。

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いつもこの碑を通る度に見ていましたが、今までずっとこの場所が遭難の地だと思いこんでいました。しかし、この石碑よく見ると「北へ約壹丁」と書かれているではありませんか。ずっと思いこんでいたこの石碑は案内版だったんですね(笑)。

では北へ約1丁(ってどれくらい?)上がります。御池通を越えた辺りです。するとありました。

 

②左に「大村益次郎卿遭難之碑」と、右に「象山先生遭難之碑」があります。
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②の大村益次郎遭難の碑を拡大します。高瀬川の向こう側にあるので遠くからしか見えないのが残念です。見上げてないと見逃してしまいますよ。
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↑象山先生遭難之碑。

 

そのまま木屋町通りを上がります。するともう一つ大村益次郎の石碑があります。③「兵部大輔従三位大村益次郎公遺址」と書かれています。ここは益次郎が襲撃された宿の跡だそうです。連続して石碑がありますね;;

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明治2(1869)年関西の軍事施設視察時に反対派浪士に襲われました。この碑は大村益次郎が襲撃された時の宿所を表しています。

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↑しかし一直線ですね。うなぎの寝床ですな。この辺りがが刺客に襲われた宿だそうです。

 

この木屋町通りって、ホントに刺客に狙われる場所ですよね。各藩邸があったからでしょうか。この辺りは京都の中心ですが、昔も京都の中心だったのがわかりますね。

大村益次郎と言えば、シバリョーの「花神」です。この本を読めば彼の魅力がわかりますよ。蘭学や医学を学んでいた彼がどのようにして幕末の世に登場したのか。まだの人は、ぜひとも一読を。

短編集「人斬り以蔵」の一話目にも大村益次郎の話があります。あわせてどうぞ。

上の地図①~③まで大村益次郎中心に歩きました。次回は④~⑥、桂小五郎を歩きます。

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