「木屋町三条から大村益次郎と佐久間象山遭難の地を歩く」(地図①~③)の続きです。
③「兵部大輔従三位大村益次郎公遺址」を後にし、今来た木屋町通りを下りました。
料亭「上木屋町 幾松」入口にある④「桂小五郎像幾松寓居跡」、京都ホテルオークラにある⑤長州藩屋敷跡(長州藩邸)と⑥桂小五郎像を紹介します。
桂小五郎幾松寓居址
丁度、②「大村益次郎卿遭難之碑&象山先生遭難之碑」の向かい辺りに④「桂小五郎幾松寓居址」があります。
現在は「上木屋町 幾松」という料亭になっています。入口右下に「桂小五郎幾松寓居址」碑があります。
桂小五郎と芸妓・幾松の話は有名です。小五郎が新選組から狙われている時に、幾松が何度も助けました。
後に幾松は、桂小五郎(木戸孝允)と結婚し、名前が木戸松子となります。
明治維新後、木戸松子は④この地に京都木屋町へ転居しました。
長州屋敷跡(長州藩邸跡)京都ホテルオークラ内
次に、御池通りに戻り、河原町方面に少し行くと京都ホテルオークラがあります。
ここは江戸時代、京都の⑤長州屋敷(長州藩邸)があった場所、長州藩の幕末志士、桂小五郎や大村益次郎などが寝泊まりしていました。
長州藩邸は元治元(1864)年、禁門の変で焼失しました。下に古地図があるので確認してみてください。
古地図(慶応4年再刷)には、「長州ヤシキ」(水色枠線)と書かれています。当時は御池通りが無かったのですね。
そして、木屋町通りは鴨川の河川敷と接しているのがわかります。
桂小五郎像
次へ行きます。京都ホテルオークラをぐるりと回ると、その西側に⑥「桂小五郎像」がありました。
何度も書籍などでは見てはいましたが、実際自分の目で見てみると想像していた以上にカッコイイです。迫力がありますよ。
このあたりは長州藩に関係する史跡が多いので、ぜひ歩いてみて下さい。
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