- 「鞆の浦到着。「坂本龍馬宿泊所跡」と頼山陽「対仙酔楼」を見る」
- 「龍馬観音から福山市営渡船のりば、禅福寺・対潮楼周辺を歩く」
- 「「鞆の津の商家」、「いろは丸事件談判跡」、「御舟宿いろは」周辺を歩く」
- 「「鞆の浦歴史民俗資料館」を見学。江戸時代古地図から今の景色を比較する」
- 「鞆の浦・いろは丸展示館周辺と館内を見学」
1〜5と続いて、今回で「坂本龍馬・鞆の浦編」は終了です。
地図の10常夜灯付近を歩いて見ました。
鞆の浦「常夜灯」
⑨いろは丸展示館を出て、⑩常夜灯に行きました。
常夜灯の正面には「金毘羅権現」、左側には「寄進西町中」と書かれています。西町中の町衆が安政6年に建てました。安政と言えば幕末ですね。
⑩常夜燈。陸のギリギリにあるので、反対側は危なくて見えませんでした。安政6年と書かれているのがわかります。
「鞆湊常夜燈」碑
この絵は「西国名所之内・十五」の「備後・鞆の湊」五雲亭貞秀作の浮世絵です。(出典:福山市鞆の浦歴史民俗資料館リーフレット)
幕末に活躍した浮世絵師で、この絵も陸の先に常夜燈が描かれています。常燈明とあります。
後記
いやぁ。満喫しました。まだまだ見所はあったんですが、これにて時間が来てしまい終了です。
後15分あれば紀州藩が泊まった圓福寺(大可島城跡)にも見にいけたのに。残念ですが、バスの時間が来たので帰ることにします。
密度の濃い2時間半でしたよ。鞆港バス停に急ぎます。
バス停に向かう道中、このような素晴らしい路地も通ります。
「鞆港バス停」は、先程までいた「いろは丸展示館」やカフェ、そして常夜灯の海を渡った丁度向かいにあり、まとめてみることができます。思わず写真撮影。
右から白壁がいろは丸展示館、その横の長屋がカフェ、そして左に常夜灯とセットで見ることができます。
時間がきたのでバスに乗りました。今駆け巡った場所をバスは横切り、福山駅へと戻って行きます。30分間、バスに揺られながら、駆け巡ってきた場所場所の余韻に浸りました。
福山駅に戻るバスからの風景。この川が鞆の浦に繋がっています。
JRは福山から岡山、岡山から姫路、姫路から大阪と乗り継いで帰りました。岡山から姫路の電車に乗ったときでしょうか。丁度睡魔におそわれて熟睡。
そして1時間半たったころに意識が戻ると、なんと車内の人達のほとんどが同じ人達でした。
つまりこの電車に乗っているほとんどが「青春18切符」を使ってるんですよね。さすが夏休みです。みんな18切符って利用しているんですね。改めて感じました。
最後に、お土産ですが…
福山と言えば、広島だったんですね。駅中では紅葉饅頭が売られていました。
その中でもオススメは”にしき堂”の生もみじです(普通のもみじではなく、生もみじの方)。紅葉饅頭の中でも、もちっとしてて生菓子に仕上げてあり美味しかったです。
偶然買ったものですが当たりでした。バラでも購入できるので、食べてみてください。
にしき堂のもみじ饅頭。駅のホームにも宣伝がありました。
そして、例の福山”龍馬”雅治グッズが駅にも売られていましたよ。
買うほどでは…って思いつつ見てましたが、これぐらいならいいでしょう。福山龍馬は福山市限定で、しかも今年のみでしょうか。
福山に来た記念にということで福山龍馬マグネットを購入しました。お手軽お土産にいかがでしょう。
いやぁ、暑かった。行ってみてわかったのですが、鞆の浦への日帰り旅行は無謀でした。(当たり前である。)
こんな素晴らしい墓所で日帰りするなんて、おかしいし、もったいないですよね。反省です。
今回、鞆の浦に来たことで、「いろは丸事件」もさることながら、「七卿落」についてもっと調べてみたくなりました。
鞆の浦を去った七卿落のメンバーは、旅をして長州に向かいます。しかも簡単にはとどり着いていません。
道中、どれだけ苦心して向かっていったのか。もっともっと調べてみたくなりました。そんな訳でまた行く所が増えました。
今後は七卿落についても、研究していこうと考えています。(いつになるのやら。)旅はまだまだ続きそうです。
これで「坂本龍馬・鞆の浦編」は終わりです。
関連:[土佐藩]幕末の史跡一覧に戻る